癌2 癌の家系私の血縁親族で亡くなった者は全員癌で死んでいる。母方の祖父が最初で私が小学校5年の時。 胃がんで遠方にいたせいか危篤の時にしか会えなかった。 次は中学2年の時の父方の祖父。 この時の経験は私の死生観を左右することになったと思っている。 思春期ということもあったし、その年の2月に元気でオリンピックを見に来た祖父が同じ年の9月末に亡くなるというのはやはり衝撃だった。 田舎にいたがちっともよくならないのに業を煮やした父が札幌の病院に入院させ、学校の帰りに毎日見舞いに寄っていたのもあるかもしれない。 優しく、温厚な祖父が毎日見舞う毎に弱ってゆき、それでも孫の私が見舞いに行く時間になると頑張って目を覚ましていたと看病していた叔母たちに聞かされていた。 最期の大吐血の直前、来年の田舎のお祭りについて話していたのは忘れられない。 酒もタバコもしない祖父は肝臓癌だった。 今と違い、両方の祖父は最期まで激痛に耐えながら死んでいった。 痛いとは一言も言わなかったが、掴んでいたベッドの棒が曲がるほど耐えていた。 人は死ぬ。 この事がよく判った。 父方の祖父が亡くなったその日、地元紙の短歌の欄に祖父のうたが載った。 あまりの事に息を呑んだのをよくおぼえている。 大切に取っておいたこの日の新聞を自宅の建て替えのどさくさで無くしてしまった。 すでに20年近い前の話になっていたけれど、諦めきれず地元紙に問い合わせてみた。 ありがたい事に掲載されていた部分を送っていただけた。 母方の祖母は胃の外側にできる癌だった。 中々見つからず、ようやく変だと気がついた時にはすでに腹水がたまった状態だった。 所々記憶が飛んでしまう状態だった祖母と一緒に病院へ行き、宣告された時は私の母も腰の手術で入院し、ようやく動けるようになったばかりだった。 祖母は母の手術前後に見舞いにも行っている。 しかし母の退院を待っていたかのように、入院して1月で死んでしまった。 子供は勿論、成人した孫全員で泣きながら見送った。 父方の祖母の死は私の癌の後。 97歳だったのだから死因は癌とは言い切れない。 88歳で癌手術を受け、その後も転移した癌を抱えながら孫の私の癌を心配していたらしい。 祖母には知らせないで欲しかったが、叔父叔母いわく「おばあちゃんはあなたが一番かわいいんだよ」 #何でそれが私の癌を知らせる事に繋がるのかと思うけれど 他には本人は知らないが叔父一人が大腸がんになっている。 こちらは元気になっているが。 2003.9.6 ジャンル別一覧
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